コミュニケーション障害者の適応援助
[対象学年] 3年生教職(特別支援教育)
多くの人は、音声言語を使って相互に意思の交換、問題解決及び自分自身の行動の調節等を行っています。一方で、障がいのある人の中には、手話や指点字などの非音声言語を使って他者とのコミュニケーションをとる人たちがいます。「コミュニケーション障害者の適応援助」の授業では、非音声系でのコミュニケーション手段(手話・指点字・あかさたな話法・STAなど)が、どのようにして可能となったか、それぞれの成り立ちや方法を具体的な事例を通して理解し、言語行動の成り立ちやコミュニケーションに障がいのある子どもに対する教育のあり方などについて学んでいます。
12月12日の授業(写真右)には、本学大学院を修了した柴田美優さんがゲストティーチャーとして「STA(ソフトタッチングアシスタンス)」について講義(写真右下)と演習をしていただきました。
ソフトタッチングアシスタンスとは、「自らの言語表現や文字表現ができない人(特に自閉スペクトラム症や重度肢体不自由者)に介助者が手を添えながら彼らの主体的な動きを援助しながら運筆することにより、書字や描画による表現が可能になるコミュニケーション方法です。
具体的には、柴田さんは、通訳者の菅さんに支えられた手でかすかに動く指先(写真下)で、菅さんの手のひらに文字を書きます。通訳の菅さんはひらがなを読み取り、音声で私たちに柴田さんの思いを伝えてくれます。
授業の中で、柴田さんは、生後4ヶ月に患ったウイルス性脳炎の後遺症で全身の筋肉の緊張や不随運動が起こることや発話ができないことなどを説明された後、松橋養護学校(現在の松橋支援学校)で先生方と出会い、STAを身に付けたことを話されました。
また、後半は小学生の頃から綴られた直筆の詩(写真下)を数編紹介されました。
その後、35人の受講生全員が柴田さんに一人ずつ質問し、◯×で答えてもらい、全ての学生が柴田さんの指先が書く◯と×を集中して感じとり、STAを体験しました。(写真右上)
学生の感想
今回美優さんと手と手を通してコミュニケーションを取ったことで、会話が成立する喜びを感じ、その方法は限られたものではないと思った。普段私たちは他者と情報を送受信する際、自分が送った手段と同じ形で返ってくることが多い。話し言葉で送った情報に指の動きで答えが返って来るのは今までにない体験で、自分の順番が回ってくるまで本当にコミュニケーションを取れるのか不安だった。自分の気持ちや言葉を指に乗せて、他者と繫がる。言葉の理解は出来てもそれを表現できない、移り変わる自分の感情をすぐに表に出せない、気持ちを取っておくもどかしさがきっと美優さんの中にはある。「分かりたい」という気持ちこそ美優さんにとって一番の支援のように思った。様子を見て先回りする支援とじっくり時間をかけて確認しながら進める支援の2つが重要であると感じた。美優さんと繫がれた数秒はとても貴重な時間になった。
学生の感想
今回、柴田さんとの交流を経て感じたものが不安だった。私は、コミュニケーションを受ける側のことを想定はしていた。ただ、私もコミュニケーションを取る際に不安を感じた。このように両者に自分の言葉が伝わるのだろうか?という不安がコミュニケーションを取る前に発生する。では、この不安を乗り越えるためにできることについて考えた時私は、相手を知ることだと思う。相手がどのようなコミュニケーション手段を用いるのか、どんな性格なのか、何が好きかなど相手の情報を前もって知ることで「不安」も少しは軽減され、コミュニケーションがとりやすくなる。また、柴田さんと他の学生との会話を聞いているとすごく打ち解けた印象を受けた。それは、語尾の工夫や感情を表に出しやすい言葉を選んでいたからだと思う。その工夫は、通訳者の方の伝え方にも影響される。このように、一方が歩み寄ろうとする態度を示すと自然とこちらも歩み寄れる感じがした。
学生の感想
今回の講義の中で、サポーターの菅さんが明確に読み取ることができなかった部分は、随時柴田さんに確認し、柴田さんの言いたいことを正確に代弁しようとしている姿が印象的だった。改めて不明瞭な部分を自分の想像で補って通訳するのではなく、きちんと確認をして逐語的に訳すことや、確認して訳が間違っていた際に正すことができる関係を築くこと、受信者・発信者・サポーター全員が相手が話しやすい・聞きやすい環境を作ろうと歩み寄る姿勢が重要であると感じた。また、上記のような環境を作るためには、練習を重ねて指の動きの特徴をつかむこと、視界に入る位置・耳元など、受信者が発言を聞き取りやすい位置で話すこと、筋緊張をほぐす時間を定期的に設けること、筋緊張による睡眠障害のため、時間帯によっては途中で寝てしまうことがあることなど相手のことをよく理解した上で話す時間やペース等に配慮することも重要であると思った。