障害者教育総論
[対象学年] 1年生

この授業は、特別支援学校教諭免許状の取得にかかる必修科目で、日本のみならず世界の特別支援教育やインクルーシブ教育の歴史的変遷などを学びます。
1.今回の授業の前に
時は中世の時代、わが国では室町時代ごろにさかのぼった史実がありますが、我が国の特別支援教育だけでなく、世界の情勢も同様に、当初は障がいのある人々への社会のまなざしは大変冷たく厳しいもので、教育や支援をするという風土はなく、保護されて生涯を過ごす事例は裕福な経済状況にある者や地位の高い者が中心で、家の中から出ない(出されない)者や物乞いをして身寄りのない状況におかれてしまった者も多数いたという記録が残っています(また、当初は成人当事者、特に視覚障がいのある成人当事者の人たち自身の頑張りは顕著で、わが国で代表的なのは琵琶法師が多数活躍されて、「座」という組織を作って全国的に活動が展開され、官職の地位も得て明治初頭までその地位があったことは有名な話です)。
そのような背景の中で、障がいのある人に対しても教育(や治療)をすることが大切であるとの考えを持った人たちが、私財を投げ打って子どもの段階からの当事者教育の場を作り、丁寧に教育をしていくことで成果を上げて、地方や国の制度としての教育が始まっていく流れが明治期に顕著となっていきました(これも文明開化が巻き起こしたムーブメントの一つです)。
2.今回の授業について
今回の授業は学期の後半に入ってきたところで、明治後期から大正期の特別支援教育の歴史的変遷について詳説しました。
冒頭は、明治時代後半~末期に、当時は私立が大勢を占めていた盲学校(現:視覚障がいのある子供たちのための特別支援学校)と聾啞学校(現:聴覚障がいのある子供たちのための特別支援学校)が法的に整備され、道府県(当時)に移管されたり新たに設置されたりしていく流れを話しました。
中盤は、前回の授業で詳説した肢体不自由のある子供たちへの教育(当初は治療的意味合いでの教育)の制度化に多大な貢献をされた田代義徳先生、高木憲次先生の功績について振り返り、部下であった柏倉松蔵先生が「柏学園」(最初の肢体不自由のある子供のための私設学校)を設立された功績について詳説して、国の制度として現在の肢体不自由のある子供のための養護学校(現:特別支援学校)が各地に設立されていったことを説明しました。
終盤は、病弱の子供たちの教育については、当時の我が国の産業革命の進展と労働との関係もあって、衛生状態が悪いため(今のような医学の進歩やドラッグストアなどもなく…)、脚気(かっけ)や結核が流行しやすい状況にあり、労働力の育成の観点から学校教育においても衛生対策がなされ始め、1897(明治26)年に「学校医」(現在は公私立問わず設置が義務づけられている)が全国の公立学校に配置され、対応が始まったことが契機となって前進していくことになることを話しました。


次回は、昭和期に入って、第二次世界大戦の戦時下における特別支援教育について話をします。
